こんにちは(⋈◍>◡<◍)。✧♡おと★姫子です。ようやく秋めいてきましたね!夏の海はキラキラしてて綺麗ですが秋の海も穏やかで日差しが優しくて素敵ですよね。今回は、そんな瀬戸内海の魅力をいち早く研究し保護する事の重要性を唱えた明治の偉人「小西 和(こにし かなう)」さんのお話です。
小西さんは、明治6年、今の長尾町の生まれ。幼名は”和太郎”でのちに改名して”和(かなう)”になります。幼少時代から学業に勤しみ、18歳で札幌農学校に合格。北海道の開拓・農場経営に取り組んだのち、今度は東京で新聞記者になります。そして日露戦争の時、特命記者として満州へ・・・日本へ帰る船の中で改めて気づいたのが故郷、瀬戸内海のすばらしさ!でした。32歳の時です。
そこからは瀬戸内海の研究に没頭したという小西さん。明治44年、38歳の時に発行した「瀬戸内海論」は瀬戸内海の地質の構造・海岸線など瀬戸内海をあらゆる角度から研究した、千ページに亘る総合辞書のような内容で、今でも貴重な書物とされています。そして、瀬戸内海を国立公園にするために国会議員にまでなってしまうんです!!(⋈◍>◡<◍)。✧♡なんという行動力。
瀬戸内海の価値を訴え、日本の資源として世界にもっともっと知らせていこう・・・と訴え続け、昭和9年ようやく国立公園法が制定されます。その第1号として瀬戸内海と雲仙・霧島が指定を受けることができました。
今、目の前に瀬戸内海が変わらぬ姿で広がっているのはもしかすると小西さんのお陰と言ってもいいかもしれませんね!小西さんが74歳で亡くなった…3年後の昭和25年、瀬戸内海国立公園の指定範囲が一部拡張に。そして昭和31年にさらに拡張され今に至ります。
令和の今、瀬戸内海が世界の国から注目され、行ってみたい場所として名をあげられる様になった状況をきっと天国からニヤニヤしながら小西さんは眺めているかもしれません。「瀬戸内海論」は香川県立図書館などで所蔵されていますから、機会があったら読んでみてくださいね(⋈◍>◡<◍)。✧♡!