波静かな詫間湾を眺めながら・・・須田港で船を待つ時間。港の周辺を散策中に発見!した古い灯篭に釘付けになった(⋈◍>◡<◍)。✧♡おと★姫子です。そこには「浜の市灯篭 須田港の古い灯台 ここまで砂浜で砂浜に船を付け歩み板で船への登り降りをしていた。港で市が立ち賑わっていた。」と記されています。かつて、江戸時代には、北前船の寄港地として栄えたという須田港や粟島。昔の港って?!一体どうなっていたのでしょうか?歴史を調べてみました。
三豊市文書館に提供いただいた大正時代の写真をみると、まだ港には広く砂浜が広がっています。では、石垣が出来たのはいつ?!
詫間町の議会議事録には”昭和31年”に'”須田港浚渫工事”が議案に上がっているとのこと。それまでにも小規模な石積みは早くから存在した可能性はありますが、港の整備が大きく行われたのはこの頃の様です。
海と人間との長く深い歴史・・・・。人々に多くの恵みをもたらしてくれる海ですが、港の周辺は台風などの荒天時は災害に悩まされてきました。砂浜から、石垣へ、さらなる護岸工事を・・とその後、災害復旧の護岸工事がたびたび施行され、須田港は今の姿になったのですね。
浜の市灯篭は須田港の粟島汽船の待合所のすぐ近くにあります。近くにいった際にはぜひ!探してみてくださいね。(⋈◍>◡<◍)。✧♡そして、広い砂浜に船が停泊していた↓かつての風景に思いを馳せてみてはいかがでしょう。
写真1 砂浜だった頃の須田港の写真です。大正時代は砂浜の港と湾に漁船が並んで停泊するのどかな風景ですね(⋈◍>◡<◍)。✧♡
写真2 目の前に広がるのは粟島。昭和初期の港もやはりおだやかな港。
写真3 工事により石積が。昭和39年になるとずいぶんと今の港に近づいたようすになりますね。
須田港…そして、そのすぐ目の前の粟島。粟島を訪ねると当時の北前船の船絵馬が残されていました(⋈◍>◡<◍)。✧♡江戸時代、伊勢屋神宮に奉納されたもので当時の繁栄ぶりを伺わせます。1827年には、島民の持ち船と島民が船長をつとめる船があわせて88隻になったのを機に、島の各所に88の石仏が作られたといわれています。今も春には、島民にお接待をしてもらいながらその石仏をお参りして回る88所巡りが行われています。(※今年は新型コロナウィルス対策で中止)
瞼を閉じて想像する江戸時代の港の様子・・・・。
歴史を知るとまた!さらに!海に興味が沸いてきますよね。(⋈◍>◡<◍)。✧♡